スタッフ自己紹介
はじめまして、こんにちは。
戸田達也と申します。1990年1月に東京都目黒区中根で生まれました。
目黒区立中根小学校、第11中学校、祐天寺駅近くにある都立目黒高校に通っていました。その高校生の時、世間の価値観に流されて何となく始めたダイエットがきっかけで「摂食障害」となりました。
大学生になって、周りと外見的にも内面的にも比較する機会が多くなり、症状は更にエスカレートして行きました。ほとんど食べることが出来ない「拒食」と、食べ過ぎて自らの意思で吐く「過食嘔吐」になりました。拒食は最初の1年で、残り7年は過食嘔吐です。大学3年生の頃、1日3食過食嘔吐して疲れ果てて寝るという日々を過ごしていました。そんな中、同じような辛い状況が繰り返される日々に嫌氣がさし、生きる意味を見失って、一度だけ本氣で死にたいと思ってしまったこともあります。同じように思っている若者が、今のこの國にはたくさん居ると思います。和多志は今思うと生きていて良かったです。今苦しい方もきっとそう思える時が来ると思います。今がどん底だと思えると、あとは良くなるしかないと思えると思います。ある意味で知らないうちに自分自身に対して自己暗示をかけていたのかもしれません。
父親がやたらと病院に通っていた影響で、和多志は全く病院に行かない、薬も飲まない、お医者さんの言うことは聞かない、そんな大人になりました。
もちろん、摂食障害の当時も病院に行きませんでした。元々、誰かに頼ることが出来ない子どもでした。親に対してでさえも、結局相談したところで何の解決にも役に立たないとさえ、思っていました。
大学3年生の時に、実家を出る決断をしました。当時は決断というほど大した物ではなく、摂食障害を少しでも良くする為には、家を出ることが必ず+になると思えたからです。思い立ったら即行動。ということで1人暮らしではなく、当時の中華料理屋「万豚記」都立大学店のバイト先の後輩と一緒にルームシェアで桜新町に住むことにしました。もちろん経済的な理由からです。大学の学費以外の、生活費、家賃等もちろん全て自腹でしたので、家賃は極力抑えたかったので、経済合理性を優先させた選択をしました。(目先の経済を優先させるとそれ以上に経済的に痛手を被るという)とても良い勉強となりました。実家を出て、一番感じたことは、親への感謝や有り難みと共に「和多志は自分で主体的に生きている」というものでした。より自分らしく、やりたいことを誰にお伺い立てることもなく、やりたいままに我がままに我儘にできる有り難みを感じることが出来ました。今ご実家に住まれている方で、まだおひとりで住まれたことがない方は、もしかしたら、より自分のやりたいことやなりたい自分に近づける機会となるかもしれません。東京に実家があって、東京で一人暮らしをするということは、どうして?と聞かれる機会も多かったです。そんな中でも、周りにどう見られるかよりも、自分がどうしたいのか、心の声に従った選択を下してきました。未だ自分自身で何か選択をするという機会が少ない方は是非、選択する回数を増やすと良いと思います。自分は、心の声に従ってきて一切後悔はありません。もちろん、反省して今後に生きる経験はたくさんしてきました。
社会人になってからも、上司から発達障害を疑われ、退職勧奨を受けたこともありました。「自分の心の声」と「実際の自分自身の行動」がズレている状態がある一定期間続くと人は病んでしまうと思います。自分の中での「当たり前」をどうか人に押し付けないであげてください。特に純真無垢な子どもであれば余計にそうだと思います。知らず知らずに発している言葉で身近な人の可能性に蓋をしたり、枠をどんどん小さくさせてしまいかねないと思います。全ては相手がその言葉をどう捉えたかに依存します。親が何氣なく言った一言であっても、子どもにとって、その言葉が持つ力や影響力は計り知れません。子どもの尺度次第です。
皆様とお話できることを楽しみにしております。お子さんとも、たくさんお話したいです。和多志もまだまだ勉強中です。みなさんとのやり取りで學ばせて頂くこともたくさんございます。無理して何も買って頂かなくても構いませんし、変なプレッシャーも感じさせないようにします。ただ、話をしに来たというお客様がとても嬉しいです。「お金の要らない世界」を目指して、模索中。氣になって頂いた方は、是非この本意を聞いてみて下さい。
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