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『助け合い主義』
昨日はお休みを頂戴して、ある方にお会いして来ました。それは2012年から『助け合い主義』という考え方を実際に実践されているモデル都市の代表者です。
本当に人と人との出会いというのは、素晴らしいものだと感じています。お互いが引き寄せあって出会っているのだと思います。5年以上前から、どこかで自分が理想としていて、よく口にしていた『お金の要らない世界』が、キーワードでした。自分はあまり周りにどう思われるか氣にしません。自分や世界について、どう在りたいかはよくイメージしています。当時から『お金の要らない世界』だけはずっと思い描いていました。今よりも具体的なレベルではございません。
お金を理由に自殺してしまう人や、お金を理由に嘘をつき人の信頼を失ってしまう人、お金を理由に身体を売る人、お金を理由に魂を売ってしまう政治家や権力者と呼ばれる方々。彼らを見て、そう思いました。お金の支配やお金がない世界であったら、争いが今ほど起きないのではないか?もっと愛に溢れた社会になるのではないか?と。もちろん、彼らには、彼らの事情があって、そのような選択をしているのだと思います。彼らを否定も肯定もするつもりもないですし、できる立場にはありません。しかし、誤った本人の認識がこのような現実を創っているのです。全ては心です。彼らも、ある意味で社会の犠牲者だと感じています。和多志がよく言う言葉で肥満は社会が作り出したものというものがありますが、それに近いかもしれません。もちろん、中には、そんな中でも肥満にならない方もいます。全ては意識です。
また、この社会に生きていると値段のついているものだけが価値のあるものだと誤認させられてしまう可能性があります。ブランド品や高級車や家など。特に都会に生活していく上では、何をするにもお金が必要な状況や環境です。ところが、自分が今、生きている時間には、値段がついていません。また、皆さんも人の言葉によって救われた経験や、逆に人から言われた言葉で傷心してしまった経験もあるかと思いますが、言葉にも、値段がついていません。昔は自由に発言出来なかった時代もあるようです。和多志は、摂食障害の時に、周りから言われた「痩せた。太った」という言葉に一喜一憂していました。その時から、自分は他人に対して、自分が発する言葉で相手を傷つけたくない、悲しませたくないと思うようになりました。言葉は使い方によって、人の命を救うこともできるし、逆に殺してしまうことだってできてしまう諸刃の剣だと思います。そのような視点もあって、発言が制限されていたのでしょうか?(歴史についてまだまだ勉強中で理解が乏しくて申し訳ございません。)また、それと同時に、どんな言葉を言われても動じない自分でいることも大切な氣がしています。「目の前に起きた事実をどのように解釈するか」それだけは、みな平等に自分で決めることができることのような氣がしています。
上記のような自分自身の実体験から、「お金の要らない世界」を理想として来ました。これは、下手をすると、陰謀論者と誤解される可能性のある内容だと思います。ただ、確実に言えることは、彼らはその世界を実現に向けて一歩一歩歩みを進めているという事実です。辞めない限り、必ず実現できると思っています。
皆さんは、この今生きている世界に対して、どのように見ていますか?皆さんとここについて、お話したいと思いました。(ブログを書いている途中でしたが、週1回、少人数でテーブルを囲んで、皆さんの考えや意見を共有する会をしたいと思いました。)
自分の考えが常に正解だという認識はありません。皆さんがどのような人生経験を通じて、どのようなことを學んできて、今、どのように世界を日本を認識しているのか、非常に氣になりました。
追記
「今度、中村天風研究会のお話を聞いて来ます。ご興味ある方は是非」
和多志は摂食障害や自分自身の経験や体験を通じてこれまで色々なことを學んで来ました。この3次元は行動の星とよく言われますね。この本意は自分でもよくわかっておりませんが、これまでの人生で自分の行動や体験で學んで来たことしかない氣がしています。もちろん、読んだ本や人から言われた言葉というものにも、良くも悪くも、物凄いエネルギーがあります。ただ、それらをどのように捉えて、自分の考え方や行動を変えていくか、ということが大事なように思います。
自分は本やある人の言葉によって、自分の考え方や生き方が変わったという経験は、これまでの記憶ではあまりありません。人によっては、このような素敵な経験をされている方もいるかもしれません。大谷翔平選手も高校時代に中村天風先生の『運命を拓く』を読んで以降、彼のバイブルとなっているようです。高校生にして、この本の内容を解釈しているのは、本当に凄いと尊敬します。ただ、彼自身でも、本の内容を通じて教わったことを、実際の自分自身の体験や経験を通じて、このことを學んでいる氣がしてなりません。あるいは、幼い頃に聞いた教えというのは、自分が体験したことでなくても、体験したことと同じくらい深いところまで、潜在意識に入っていくのかもしれません。未だ、この地上界においての体験や経験則が少なく、ピュアな状態であるあり、どんな考え方にも染まりやすい時期なのかもしれません。
彌榮ー