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2025-02-20 11:39:00

事実をありのままに捉える心

昨日は、常連さんFさんとお話しました。

先週まで、インフルエンザで寝込まれていた方で、ようやく昨日から回復したとのことで、ご来店頂きました。

店内にテーブルと椅子はあるけど、いつも立ち話なので、昨日はやっとテーブルと椅子が大活躍でした。

Fさんとは、去年の開店したタイミングで出会い、料理人という職人さんで、自然栽培業界や農家さんや種のことなど、非常にお詳しい方で、いつも色々教えて頂いたり、ご紹介して頂いたりと、頂いてばかりです。普段は、商品や農家さんや経営など、割と仕事のお話がメインですが、ようやく少し突っ込んだお話が出来ました。特に自分が好きなお話、追求したい真理や世の中についてのお話でした。もちろん、女性のお話も好きです。(と言っておきます)

 

 「お金の要らない世界」という自分の理想とそのように思うに至った経緯や経験や体験についてお話させて頂きました。

 中でも、お金を払うという行為はある種の「覚悟」を決めるという意味合いがある様に思います。

タダにすることで、その有り難みが薄れてしまうことや、元本回収またはそれ以上を回収しようとしてコミットしなくなってしまう可能性も出て来るのではないか?と考えてしまいます。これは、その人の根底に、タダだからそれを受け取る、または貰うという視点があったり、それの商品が物なのかサービスなのかでも、変わってくると思います。

 別の視点では、商品であれ、物であっても、お金を払うという行為が、有難うというお礼を伝えることだけでも同じで良い様に思います。それを目に見える「お金」という物質化しただけなのかもしれません。

  例えば、ある仲の良い友人から、「良いシャンプーがあるから、話を聞いて欲しい」と言われた時にあなたはどう感じるでしょうか?

もし、あなたがちょうど良いシャンプーを探している人であれば、興味を持つかもしれません。また、その仲の良い友人の誘いだから、とりあえず聞いてみようと思う方もいるかもしれません。また、特に何か思うこともなく、まず聞いてみる人もいるかもしれません。あるいは、過去に同じ類のシャンプーで話を聞きに行ったら、ネットワークビジネスの話であり、あまり良い思いをしなかったという方もいるかもしれません。

 いずれにしても、事実としてあるのは、「友人があなたにシャンプーの話を聞いて欲しいと思っている」だけです。にも関わらず、その言葉を聞いた時の解釈は十人十色なのです。これは、自分自身の経験則や感情のフィルターを介してその事実を認識しているからだと思います。もちろん、これに対して否定も肯定もしません。ただ、このように認識する理由には、過去の自分自身の経験や感情と、未来や今を混同してしまっているという見方も原因の1つなのかもしれません。今、目の前の人からの言動を、自分の経験則からある意味「決めつけてしまう」ことと同じなのかもしれません。

 和多志が、いつも考えてしまうことは、「その人が自分の損得勘定なしに、単なる善意で本氣でそれをあなたにお勧めしたいというピュアな想いや氣持ち」を持って、その話を勧めて来ていたとしたら、これは、(その友人が以前から親しいというのはあまり関係ないことかもしれませんが、)その人に対して、大変失礼なことをしてしまっているということです。(それと同時に自分自身が成長する機会を失っている可能性もあるかもしれません。)和多志は、それだけは絶対に避けたいと考えています。そのように割と性善説で考えて来たので、騙される(非常に他責の言い方で恐縮ですが)ことも多々ありました。逆に、自分が騙されるだけで、済んでいます。それだけで済むならとも思えます。決して、善意を持って来てくれる方を疑いたくは、ないです。また、過去騙して来た(全然そのつもりもないし、被害者面して申し訳ございませんが)方々の所為によって、自分自身のピュアな心が汚されたり、信じることが出来なくなったとしたら、それは、悔しいと思いませんか?ということを考えています。

 結果として、そのお話が、ネットワークビジネスで、友人が利益の為に、あなたにお話を聞いて欲しいという事実確認が取れた場合、悲しい氣持ちになる人が多いと思います。仮にそれがネットワークビジネスでも、あなたが本氣で良いと思って使用するようになるかもしれません。その場合には、価値ある情報をお伝えした対価として、情報を伝えた広告料として、友人が利益を得ることには、問題ないのかもしれません。和多志の中で、未だ「お金=汚いもの」というイメージがあるのかもしれません。それを學ぶ為に、お店を始めたのかもしれません。

 また別の見方では、そのお話が仮にネットワークビジネスでも、何かしらあなたにとって新しい情報に触れる機会を頂けた、という可能性もあります。お話を聞いた後に、参加するか、参加しないか、それをあなたは決断することが出来ます。自分を信じて下さい。

 以上の経験をして来た和多志としては、これらのビジネスには極力関わりたくないというのが、正直なところです。(もちろん、皆様にこのようなお話をすることは、これまでもこれからも決してないです。) 変な誤解を招く恐れがあるからです。その道で成功されている方々は凄いと思います。ただ、自分はそうなりたい、そう在りたいとは今は思えていません。三角形や三位一体や3という数字はバランスが取れていて好きなんですが、どうやら、組織を始め△ピラミッド構造があまり好きでは、ございません。皆さん1人1人が年齢性別問わず、対等な存在だと思うからです。

 確かにお金というのは、その人の人間性が最も現れる部分だと、感じています。ただ、お金という概念が無くなったら、愛と平和と調和に溢れる世の中になると思いませんか?

今日も長々と、思っていることを書かせて頂きました。自分もまだまだ、勉強中です。この肉体を通じてしか魂が學べないことを。彌榮