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2025-02-24 11:39:00

積極性を取り戻す

 おはようございます。本日は祝日の為、17時までの営業となります。いつもお読み頂いて、有難うございます。毎週土曜日の深夜に放送される「チ ー地球の運動についてー」の最新話を拝見させて頂きました。今回もとても面白い内容でした。 

 特に印象的だった内容は、異端審問官として天文學の地動説を研究する者たちを異端者として処刑してきたノヴァクさんが、自分の行なってきた行動(殺人)について、自省・後悔するという場面です。自分が信じてきたものが、間違えだったと氣づいた時、人によって色々な反応があると思います。受け入れようとしないで、無視したり。ノヴァクさんは、その過ちを素直に反省して、後悔している様子に感じられました。それは、娘のヨレンタさんが亡くなってしまったことも大きな原因の1つに思います。

 「何かを信じる」ということは、それだけパワーを頂ける、強くなれるものだと思います。

「信念は、人を生かす力である。」- (トマス・カーライル)、

「信念を持たない者は、どんなに速く走っても、道を見失ってしまう。」- (ゴードン・B・ヒンクリー)

「信念と勇気を持って、自分の人生を切り開いていけ。」- (ヘレン・ケラー)

「信念があるからこそ、人は成長できる。」-( アリストテレス)

「信念と勇気を持って挑戦しなければ、夢は実現しない。」- (ジョン・F・ケネディ)名言もございます。(リンカーンとジョン・F・ケネディ大統領は、アメリカに金融資本家たちの支配を受けない政府紙幣を発行する大統領令を出した後に射殺されたとされています。)信念を持つことに対する重要性は、歴史に名を残した偉人たちが多く言っています。

 しかし、「何を信じるか」という点は、非常に重要だと思います。誤った現状認識や知識や智慧で、誤った信念を持ってしまうと、間違った行動を犯してしまい、誰かに迷惑を掛けてしまう可能性があるからです。今回の教訓や著者が伝えたい内容は「無知の知」であったように感じました。「自分が何も知らない、ということを知ること」です。この現状認識をしていないと、現状認識に歪みが生じて、正しい認知ができなくなってしまう氣がしています。

 また、「何を信じるか」をどのようにして見つけていくのか?それは色々なやり方があると思います。和多志の場合は、思考のストッパーを外して、どんなこともまずは実行するというスタンスで行って来ました。思い立ったら即行動。割と行動力には自信があります。それ以外はないかもしれませんが笑。そんな自分も受け入れています。

 しかし、世の中には、やたらルールと言われるものであったり、こうしなければならないなどがございます。信号機は、歩行者の安全性を守る為に作られたのに、車が全く来ていない、安全確認できる状態で、赤だからという理由だけで止まる意味がわかりません。また、電車内でスマホで電話してはいけない、とされている理由がわかりません。電車内で2人で会話することは、一般的に許されているのに、なぜかスマホで通話となるとお控え下さいと決められています。(変なこと言っていたら申し訳ございません。) 自分だけ変わった見方をしている可能性もあるかもしれませんが、この國には、そのような理解し難いルールや決まりことが多過ぎる氣がしています。ルールに破った人には、経済的または、肉体的、時間的な罰が与えられます。

 それ故、行動したらこうなっちゃうから、辞めておこう、と、やりたいと少しでも思ったこと、思いついたことを、頭の中だけで自己解決して、行動せずに辞めてしまう、諦めてしまう方も多いと思います。和多志はこれは、そういった意図的に行動させないように、仕組まれているような氣がしてなりません。その枠をぶっ壊して、破壊して行動を繰り返す先に、少しずつ自分の信念が確立されていくのだと思います。その中でも、新しい考えや人や環境との出会い、というのは大切に思います。その自分には無い考え方を否定せずに、賛同まで行かなくても理解しようとして行きます。また、世界の中にいるちっぽけな自分という誤った現状認識を改めることも、自分自身を積極化させることに役立つと思います。自分の直感に従ってあらゆる行動を繰り返し、自分にも相手にも正直で素直であれば、きっと道は拓かれると思います。これらの決断や選択と実行と自省を繰り返して行く先に、自信や信念に繋がる氣づきを得られるような氣がしています。

 和多志も積極的かどうか、わかりません。ただ、消極的だと思っている方や一歩踏み出せずにもやもやしている人は、口癖や発する言葉を変える意識をしても良いと思います。自分がそう思っていないのに、言えないよーという人が多いと思います。和多志も嘘がつけないタイプでしたので、そのお氣持ちが本当によくわかります。ここで、質問です。あなたはどっちだと思いますか?「笑顔で居るから幸せになる」「幸せだから笑顔になる」。笑顔と幸せを、原因と結果のどちらとして捉えるのか?という問題です。問題というより正解はありません。ただ、自分は、ある時から、「笑顔で居るから幸せになる」と本氣で思うようになってから、正しく認識できるようになった氣がします。しかし、悲しいかな、自分が思ったようにしかならないのが現実だと思います。それなら、自分で「笑顔で居るから幸せになる」と決めて思った方が良く無いでしょうか?

彌榮ー