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原因は結果であり、結果もまた原因である?
おはようございます。本日は定休日です。
昨日、書かせて頂いた「笑顔だから幸せになる」「幸せだから笑顔になる」皆さんはどちらだと思いますか?和多志はこの疑問をだいぶ前から、心の中で抱いていました。ある時から、確信を持てたような氣がしています。また、最近これに似たもので、「声が出すから元氣になる」「元氣だから声が出る」を考えるようになりました。というのも、今お世話になっている70代女性のKさんや和多志の親の友人Oさん、皆さん年齢よりもだいぶ若々しく見えて、しかもエネルギッシュなのです。中身は変われど、自分は前者の捉え方をするようになりました。一見、結果のように捉えられる事柄も、ある意味では原因にも成りうるし、またその逆にも成りうるのかもしれません。
ある本を読んだ方から聞いたお話があります。それは、自分の子どもが學校で悪さをしたときには、何かそのようにしてしまった事情があるのでは?とそこについてのより深い原因を探ろうとする傾向があるように思います。ところが、これが、飼っているにゃんこやわんこであると、おしっこを床にしたり、洋服を歯でちぎったり悪さすることを、結果として捉えて叱ったり、躾して正そうとするという傾向があるのでは?という問題提起でした。確かに、ペットの場合にも、そのように行動したのには、さらに原因があると考えられます。この叱るということをサイレンを消すというような表現をされていました。何か問題が起きた時に、そのサイレンを消しただけでは、根本原因は解決されず、また違った形でサイレンを出し続けるような氣がします。それは、サイレンを消すのではなく、その元となっている根本的な問題を解決する必要があります。それは、まるで病氣になったときに、肉体的な症状にだけ目を向けて、それを治療して肉体的に治癒させただけでは、サイレンを消しただけであって、根本解決にはなっていない。心を治癒する必要がある。そんなような氣がします。
今日は短めですが、こちらで失礼します。出かけて来ます。
彌榮ー