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2025-02-26 11:39:00

自分の枠や器を広げる

 おはようございます。昨日は定休日でしたので、あるクリスチャン5年の方とお話する機会がございました。凄い饒舌で、何かお話する度に聖書での例え話や解釈を説明されていました。信仰が強いのでしょうか?何の為に宗教を行うのか?それは「自分自身がより善く生きられる為」だと和多志は思います。仮にその宗教を数年學び実践して、自分自身が善く生きれていると自信を持って言えないのならば、それは、単にあなたの世界や視界を狭めてしまっているだけのように思います。昨日お話した方は20代半ばの方でした。人を変えることは、難しいので、変えるつもりはございませんが、その若さで、これが絶対的なものだと決めつけてしまっているような氣がして、親心のように心配になりました。

 今日は、言葉についてです。皆様は「言葉」をどのように捉えていますか? 幼い頃に、自己表現やコミュニケーションの道具などと教わった記憶があるかもしれません。和多志もこれまで、そのように捉えていた嫌いはございます。このように、自己表現の為の道具としての認識によって、自分のことを決めつけてしまい、自分が変化するという視点に欠けてしまう恐れが生まれて来てしまう氣がします。「和多志はこうだ」という檻から出ることが出来ない。頑固な態度や姿勢を生んでしまいかねないです。

 ところが、ある本の中で「言葉の本質は、自己表現やコミュニケーションの道具ではない。それは自分の中に他者を受け入れること」という言葉に非常に感銘を受けて、まさにその通りではないか。と思いました。また、言葉をこのように定義・認識することによって、生き方までもが変わってくる可能性だってあり得ると思います。もちろん、ポジティブな意味で変化する可能性があると思います。

 本来、言葉は美しいもの。自由にしてくれるもの。だと思います。しかし一方で、意識をその檻の内部に閉じ込めてしまうもの。でもあると思います。和多志は日本語しか話せませんが、最近では2−3ヶ国語話せる方も増えているように思います。全てのことに共通して言えることかもしれませんが、何か1つしか知らないということは、比較対象がなく、余計にその言葉の檻の中に閉じ込められてしまう可能性が高い氣がしています。なので、和多志は、日本語という母語を使用することによって、どういった思考や傾向になりやすい、またどのような言葉の檻に閉じ込められているのか、認識出来ていない、という風に言うことができると思います。

 もちろん、言葉が使えることで、物事の差異を認識できるようになったことは大きいと思います。日本語では蝶と蛾を区別して表現しますが、他の言語ではまとめて表現する言語もあるだろうし、蝶々の色まで付けてそれにバラバラの名前をつける言語もあるだろうと思います。言葉を持つことで、差異を豊かにしていくことができるのだと思います。今まで見えなかった違いが見えるようになってくるという、「無知の知」を自覚して、もっともっと色々な景色が見たくなるかもしれません。ただ、それを認識することで、どこまで行っても、自分が全てを知っているということなんてあり得ないという智慧が生まれてくる氣がします。

 和多志は、幼い頃から、「どんな人の考えや意見もまず受け入れよう」と意識して参りました。その為、色々なネットワークビジネスや投資話や詐欺などの経験をさせて頂く機会は多く頂けました。別にネットワークビジネスじゃなくても良かったのかもしれません。笑 ただ、そのようなことを経験しても、自分のスタンスは変えませんでした。そんな時にある尊敬する整体の先生から、「人が成長していくためには、”自分の考えの枠の外の情報”に触れてそれを取り込んでいくこと」と聞いて、なんだか自分がこれまで行ってきたことが、肯定されたような氣がしました。「構築・脱構築」と言うようです。これは、”自分では考え出せないものの中に、答え、解決策がある”という非常に大事な氣づきを頂きました。まさに、その通りだと思います。自分の中で考えられていたら、その問題は問題ではないはずです。しかし、それが、問題となっているということは、他の考えや新しい考えに触れる必要があると思います。和多志は、これまで、あまり誰かに相談するのが得意ではありませんでしたが、(自分の今の状況と同じ状況を体験して、自分と全く同じ経験をして来た人はいないから、意味がないのかもしれない)もしかしたら、相談することの意味は、自分では考え出せないものの見方や考え方や認識を得るためなのかもしれません。(相談相手は、自分とは全く同じではない経験をして来たからこそ、違った見方や考え方や視点を持つことができたのだと) ただ、言葉は常に不完全なものであるという理解とともに、言葉に触れる必要性があると思います。それは時ととして思い込みを生む可能性があると思います。使い方によっては「諸刃の剣」になると思いますが、今、和多志はまさに言葉の魅力に魅了されています。

お読み頂いて有難うございます。今日も感謝と歓喜に満ちた心でお過ごし下さい。怒らず、怒らず、悲しまず

彌榮ー