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2025-03-03 11:39:00

有意注意力 街中の美男美女に目が行きますか?

 おはようございます。今日は朝から冷え込んでいますね。数日は寒くなるようなので、気温の変化でお身体お氣をつけて下さい。昨日は中村天風研究会の実践編で、呼吸法と体操をして来ました。

 「チ ー地球の運動についてー」の最新話の放送が土曜日にありました。自分の生涯をかけて、信じていたこと(地動説が異端思想だということ)が、間違っていたことを一度は受け入れたかのように見えたノヴァクでしたが、矢張り、その事実を受け入れてはいなかったことが判明しました。氣がついた時から、人間はいつからでも変われる、変わるのに遅すぎるなんてことはないと思います。しかし、彼は、その間違いから自省・自責するのではなく、他責にしてしまい、殺すという選択を取りました。自分の死の直前に生涯について振り返るシーンがありました。そこで特に印象的だったのは、ノヴァクが異端思想の少年を処刑する際に「氣の毒だという痛み」の感情を感じていたと。しかし、その感情に蓋をして、これまで突き進んで来たと。この時にこの感情に真摯に向き合っていたら、もっと早くに氣がつくことが出来たかもしれない、という風に解釈もできる内容です。

 ちょうど、先日書かせて頂いた「思考を耕す」という内容と通じる部分でした。「自分の中にある感情や氣持ちを大切にする」為に、ノートを書くことで、その瞬間の氣持ちや感情をピン留めして、それと向き合うということを提案させて頂きました。今ここにしか生きることが出来ない和多志たちは、自分の感情や心の声を可視化することで、そこと向き合うきっかけをくれる氣がしています。

 外側や周りのものに対しての意識を向けさせて、自分の心と向き合うことから、遠ざけられているような氣がします。また、テレビを見ていないのに、付けっ放しで聞いていることに、違和感がなくて、内容があまり入って来ないという方は、注意が必要かもしれません。知らず知らずのうちに、有意注意力が散漫になっている可能性があります。この有意注意力とは、自分の特定した事物に注意を振り向けることです。男性の場合の例で大変恐縮ですが、街中を歩いていて美女に勝手に目がいっていまうような状況である場合、この有意注意力が使えていない状況のようです。自分はある時から、何を見るかに意識するようになってから、街中の美女に目がいかなくなりましたし、外見的に美しいと主観で思うことにも意味があるのかもしれませんが、そもそも、外見で人を見なくなりました。確かに、歳を取れば取るほどに、その人の生き方が表情や顔に現れるのはあると思います。ただ、どんな人の中にも、その人の良さや美しさが必ずあると思います。自分では氣づいていないだけだと思います。

 近年では、整形や表面的な美しさだけに目が行っている方々も増えている氣がしています。これは、物質的な客観的なものの見方の傾向が非常に強くなって来た結果でもあると思います。もちろん、彼らについて否定も肯定もしません。外見は努力次第でいくらでも変えられると思います。それらがきっかけで、自分自身の内側や心と向き合うきっかけとなるならば、本当に素敵なことだと思います。ただ、それは無限ループな氣がしていまいます。一向に満足することはない氣がします。しかし、美容整形を通じて、その事実に氣がつくことができるならば、高いお金を支払ってまで行う価値は十分にあると思います。個人的には、自然なままで皆んな素敵だと思います。心を浄化するのが、最高の美容法だと思います。

彌榮ー