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結婚と家族
おはようございます。今日は久しぶりに太陽が顔を出してくれそうですね。今朝初めて近くのぽかぽか公園に行って来ました。広くて日向ぼっこには最適な場所です。もう少し暖かくなったらいってゆっくりしたいと思います。
今日は、「結婚」について自分なりの考えを述べさせて頂きます。皆様は結婚されていますか?和多志は未だしていません。なので、結婚をしたことがない和多志が結婚について語る資格はないという大前提の元で、その中でも結婚について思うところをお伝えできたらと思います。
和多志が幼い頃、両親がよく口喧嘩していたことが記憶に残っています。しかし、大きくなってから、両親にそのことを聞くと、記憶にございません、という様子でした。また、幼い頃にその口喧嘩を目の前に「2人は何で結婚したの?離婚しない理由は何なの?」という質問をしてしまった記憶があります。これは母親に対して、どうして父親と一緒に居るのか?そんな意味合いで言ったと記憶しています。この言葉を聞いて両親がどのように思ったのか、わかりません。また、これまで生きて来られたのも、両親のおかげ様というのは、紛れもない事実なのです。今思うと、こうして口喧嘩しながらも、ここまで一緒に育ててくれて有難うと思います。2人で一緒に居てくれるおかげで、ある意味安心できます。両親がいなければ自分はここにいないし、両親の両親がいなければ自分はここにいないということを考えると奇跡の連続だと思います。それを考えると、先祖代々繋いで来てくれた命を次に繋いでいきたいという想いはあります。
結婚という枠や檻に囚われて、結婚したから自分の人生を諦めたり、やりたいことややろうとしていることを諦めてしまうのは、違うのではないか、と考えてしまいます。男女でこの辺の考えは違うのかもしれませんが、相手の方にも結婚を理由にやりたいことを諦めて欲しくないですし、それを言い訳にしないで欲しいと思います。和多志もお相手の方も、外見も内面も環境や状況によって変化していくものだと思います。そんな2人が常に一心同体のように家庭で一緒に居られるのは本当に凄いことだと思います。そのように自分には見えているだけで、それぞれが2人にとって最適な距離感か関係性を築いているのかもしれません。この考えを既婚者に言ったら、あなたは結婚に向いてないよと言われました。色々な考えがありますよね。
ある時、家族は修行だと本氣で考えていたことがあります。自分の魂が最も成長できる環境を選んできたと思っていました。今もこの考えに大きな変化はありません。性格や価値観的には、合うとは言えない場合もありますが、家族だから大切にしようと思う氣持ちがあると思います。そう考えた時に、お相手がどんな人でも結局は自分次第だから、同じだと思っていたこともあります。しかし、他人は変えることは出来ません。結婚して家族となったとしても、元々は言ってしまうと他人な訳なので、相手を変えることは出来ないと思った方が良い氣がしています。これから家族になる人を自分で選べる状況にいる自分にとっては、両親から生まれてきたこととは違って、必然性がないのです。これから、誰と一緒になるのか、正直言ってしまうと、その人でなきゃいけない理由が見出せないのです。既に長い間の月日を共にして来た相手というのであれば、情があるので、一緒になるのはある氣がしています。本氣で誰かを好きになったことがないので、こんなことを言っているのかもしれません。
また、ある時は、男女はお友達であれば一生のお付き合いなのに、一度でも交際を経ることで、その後お友達ですら居られない関係(お別れした後は一切連絡取れない、取りにくい)にも寂しさを感じています。それならば、誰ともお付き合いしない方が良いのではないだろうか?また、同性の友情は一生で異性とは仮に友情を築いたとしても交際というより深く知ろうとすると結婚か別れの選択をしなければならないこととなります。
是非、皆様のお考えも聞かせて下さい。
彌榮ー