ブログ
親子と母子
おはようございます。何だかんだ、寒さが続いていますね。本日もよく見ると雪のようなものが降っていますね。暖かくしてお過ごし下さい。
昨日の記事を読んでいたらもっと書きたくなって来たので、続きます。
結婚という制度はあくまでも制度であって、政治的な社会的な何かしらの意図があって定められたのかもしれません。人口を減らす為なのか、優勢遺伝を減らす為なのか、家族という概念をより狭いものにして、資本主義や個人主義と色を濃くする為なのか、はたまた、和多志のようなモテない男性を救う救済の為なのか、わかりません。このルールがあることによって、決してどんなに多くの女性からモテている男性でも、1人の女性としか一緒に居られないのです。また、このルールがあることによって、モテない男性にも、女性と結婚するチャンスがあるのかもしれません。一夫多妻制が長年続いていたようですが、この辺りはある程度裁量が与えられていても良い氣がします。
ところで、皆様はおじいちゃん、おばあちゃんが好きですか?和多志は大好きです。幼い頃から、実家に来てくれて一緒の時間を過ごせるだけで幸せでした。また、小學生以降に1人で動けるようになってからは、自分でおじいちゃん、おばあちゃんに会いに行ったりもしました。横浜の金沢八景からバスで15分の所に母方の祖父母が住んでいました。祖父が町内会長をしていたということもあって、一緒に町内を回ったり、イベントがたくさんあって楽しませて頂きました。また、山の中の畑を借りて自給自足の為に無農薬で農業をしていたので、その手伝いをしたり、おじいちゃんが育てたお野菜を食べるのが大好きでした。大人になってからは、中々会う時間がなく、最後に会ったのは、都内の病院にて入院している時でした。未だその時は生きていましたが、自分の中では死んだも同然のように思えて自然と涙が溢れて来ました。おじいちゃんの耳元で「有難う」とだけ伝えてその場を離れました。今思うと、もっとおじいちゃんと真剣に向き合って、彼が生涯を通じて経験したことなど、真剣な話をもっと聞きたかったと。目の前の生活の為の仕事に翻弄されていて、本当に大切なものが未だ何なのかわからなかった時期でした。もうあれから、6年が経ちました。本当に月日が過ぎ去るのは早いなーと思います。
お客様の中で、400年先祖代々で同じ場所に住んでいるという方がいました。この方は、おじいちゃんおばあちゃんのご両親とも一緒に生活していたようです。お料理やお味噌作りや生活のあらゆる智慧を受け継いでいたようです。そういうお話を聞くと、自分の曽祖父母に会ってみたくなりました。この方のように、何世代にも渡って同じ家に住むことが当たり前だった時期もあることを考えると、時代の変化を感じます。どちらが良い悪いではなく、そんな生活も経験したいなーと思いました。ただ、歴史は繰り返すという言葉があるように、氣がついたら昔のように大家族で一緒に暮らしていることもあり得るかもしれませんね。今の核家族化の動きは1950年以降アメリカによって普及されたような氣がします。どのような意図を持って、そうなったのかわかりませんが、ここまでを振り返ると、原点回帰した方が良い時期に来ているかもしれません。
社会に出ると、様々な方と知り合うと思います。もちろん、素敵な方も多くいます。家族の人よりも大切に思ってくれる方や愛を与えてくれる方など。時には我欲に溢れて欺いてくる方など。そのあらゆる経験は、必ずその人にとって必要な経験だと思います。だから起きているのだと思います。その体験や経験を通じて、何を思うのか、どう感じて、どう捉えるのか、その時の心の声を向き合うことは必要な過程な氣がします。ただ、思うことは親子という信頼や結びつきは切っても切れないものがありますし、ずっと続いていくものに思います。特に母親と子どもとの結びつきは特別なものを感じます。和多志は男性なので、自分が母親になって、そういった体験をすることは出来ませんが、母親との関係で息子視点ではありますが、大いに感じることは出来ています。
つい先日、自分の0-12歳の時のことを母親に訊いてみました。「母親にとって、自分はどんな存在だったか?和多志はどんな子どもだったか?」と。すると母親は「2人目の子どもが出来てとても嬉しくてしょうがない感じだった事はよく覚えています。達也が甘えん坊だったので、いつも和多志のそばに居て、兄のサッカーの応援の時も和多志の足の甲に座ってサッカーを見ていて可愛いなと思っていました。幼稚園の頃から、和多志が自転車で色々な所に連れ回していたせいか、いつも嫌がらずに付いて来てくれて嬉しいなーと思っていました。小學校に入る頃から、1人でも行動出来る子になって来たように思います。サッカーにも夢中になって1つ1つ真剣に取り組んで成果を上げていたように感じました。」読んでいて恥ずかしくなります。足の甲を椅子代わりにして、座っていたことは今でも覚えています。これが客観的なのかわかりませんが、脚色して良く表現して頂いているようにも思えました。この質問をしたのは、ある本で自分自身についてより知る為のワークとして紹介されていたので、知りたくなって尋ねてみました。和多志がこの話を聞いて思ったことは、非常に愛されていたということです。また、兄に対して母親の愛情を独り占めしていて、兄に我慢をさせてしまっていたかもしれない、ということを思いました。また、もしかしたら、父親に対しても母親を独り占めしていたと思われていたかもしれません。また、幼稚園の時の自転車の話は、嫌がらずに付いて行くも何も自分にその選択の余地があったのか、疑問に思いました。ただ、喜んで貰えたのなら、それは良かったです。
親も人間なので、出来ない所に目を向けるのではなく、出来る所や長所にもっと目を向けていきたいと思った出来事でした。何かを求めないで大丈夫です。ありのままで、在るが儘で。それをまるっと受け入れてくれる人が、きっと親なんだと思います。
彌榮ー