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2025-03-13 11:39:00

”助け合い主義”

 おはようございます。最近は、九品仏での生活にも慣れて、毎朝のルーティンが決まって来たので、お店を早めに開けています。

 最近"助け合い主義"を実践されている方とのご縁があり、自分も現在勉強中です。この代表の方は当時18歳の時に、世の中の異変に氣がつき、それらからの脱却・世直しの為にNPO団体を立ち上げてこれまで活動されて来ました。北海道で100-200人規模で大家族として同じ屋根の下にみんなで生活を共にして、お財布も共にするという状況です。彼らがまず目指している所は、支配力の持ち過ぎたお金に依存しない生活の確立です。人間以外の動物は、お金など生きる上で必要ありません。なのに、どうして人間だけがお金が無いと生きていけないと思わされているのか。1人1人の思考が変われば世の中も変わってくると思います。また、彼らは実際に行動されているのが、凄いと思いました。和多志も今現在、彼らの考えや実践していることを勉強させて頂いており、確信が持てた段階で、必要な方には情報共有させて頂けたらと考えております。

 想像してみて下さい。皆様と仲の良いみんなが一緒にお金の縛りを氣にせずにただ同じ時間を共有して楽しむという生活を。少なくとも、和多志はお金のない世界を見てみたいと思いました。お金を通じて、人は分断されたり、不安や恐怖に直面させられたり、している氣がします。本来、人間は、もっと前向きで歓喜や感謝にだけ意識を向けていれば、無限の可能性を秘めているのにも関わらず、お金を通じて世の中に対してのイメージや、不安や恐怖を煽ることをされている氣がしてなりません。また、お金関係で人のことを嫌悪してしまうことがありました。お金払いやお金については、特にその人の本性が垣間見れるものだと思っています。そんな時、お金という概念やお金がなければ、このようなネガティブな感情を抱く必要もないのに、、、と。もちろん、和多志じゃなくて、相手の方もやむを得ない事情やおそらく自分自身の中にある不安や恐れから、そういった行動をしているのだと思いますが。

 最近、聖書について學んでいます。もちろん、和多志は無宗教なので、特定の宗教には属すつもりもございません。聖書というと皆様はどのようなイメージを持たれますか?キリスト教でしょうか?和多志は今、客観的な公式や考えを用いた聖書の理解を深めています。皆様が想像される、キリスト教的な聖書の學びとは、意味が違うと思います。実際、クリスチャンの方と聖書の理解についてお話させて頂く機会がありましたが、全然違いました。向こうも驚いていました。もちろん、彼らの學びについて否定も肯定もしません、するつもりはございませんが、彼らがしている聖書の内容を聖書だけで理解して解釈するという取り組みは、おそらく彼ら信仰者以外には、受け入れ難いものとなってしまうと思います。しかし、その聖書(神話)の内容を、聖書から離れた客観的な公式や考えに当てはめて理解することで、閉鎖的ではない、オープンで、誰もが納得できる内容(ある意味で哲學的な)になる氣がします。それにしても、聖書って面白いし、考え尽くして書かれたものだなーと心の底から思います。これまで、和多志は學校での歴史の勉強は好んでしてきませんでした。しかし、最近歴史や聖書の勉強が好きになって来ました。「文字って、まるで奇跡ですよ」という考えに出会ってから、かつての偉人たちの言葉と触れられる機会や時間が、今やこれからを考える上で必要な氣がしてます。

彌榮ー