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2025-03-05 11:39:00

人は鏡

 おはようございます。寒い日が続いているので、お身体冷やさないようにお氣をつけてお過ごし下さい。

 最近あったこと、思ったことについて、書かせて頂きます。人と人との出会いと信頼についてです。幸いにも、和多志は、人の御縁に恵まれていると感じています。お店を始めてから、色々な出会いがありました。お店という開かれた空間には、どんな人でも来ることが出来ます。まずは、どんな方にも疑いの目を向けずにまずは全てを「愛」だと捉えるようにして来ました。もちろん、愛に溢れる方も多いです。また、自分もそれらに対して愛で返していきたいと考えています。しかし、愛を感じられない方もたまにいます。おそらく、自分が愛を感じられていないだけかもしれません。その人なりの愛なのかもしれません。自分が理解出来ない領域にこそ成長する機会があると捉えるようにしています。

 ところで、皆様はどのようにして人を信頼しますか?和多志は、これまで、たくさんの失敗と言われる経験をして来ました。人によっては、散々な思いをしてもう人は信用出来ないと心を閉ざしてしまう人もいるかもしれません。特に恋愛等で人間不信となる人も多いかもしれません。しかし、和多志は人を信じる又は信じようとする心は決して失って来ませんでした。(と自分では思っています。)もちろん、多くの経験から、傾向や人に対しての違和感を感じるセンサーが少しずつ敏感になって来た氣がします。言葉では何とでも言えてしまうので、言葉と実際の行動を見て判断する必要があると思います。そうするとある一定期間必要となって来る氣がします。お店を始めて約半年ですが、皆様の色々な思惑を感じることがあります。信頼できる人からの言葉を借りると「営業のお話は全てお断り」するスタンスが楽で良いのかなと思います。また、営業目的でも、まずは個人の関係性を構築してから、本題に入る方もいるかもしれません。そのような場合にはその人を信頼できるか、が大事なポイントなのかもしれません。

 営業を決して否定している訳ではありません。自分は、営業してもあまり意味がないと考えてしまいます。先方の都合で連絡して来て、勝手に話を始めて、相手の大切な時間を奪う、これに対して良い印象を受ける人がどれほどいるのでしょうか。もちろん、仕事だからと余儀なくされて行っているのは、わかりますが、そんな氣持ちで来るなら、営業しないで、人間性を磨くことに時間を費やした方が良いと思ってしまいます。和多志も新卒で営業の仕事をしていたので、お氣持ちがわかります。訪問しただけで「警察呼ぶぞ」と言われることもありました。お金と交換条件でやりたくないこと、社会にとって必要だと思われないことをやる時には、まさに奴隷のような感覚を受けました。しかし、これが社会にとっての当たり前だから、みんな疑うことなく、それに従って生きている。一見自由を与えられているかのように錯覚させられているけど、実際には奴隷のようになっている。単なる、昔のような奴隷制度では、力に寄る制圧で言うことを聞かせるというのでは、管理コストが莫大になうようです。そうして生まれたのが、現代のシステムだと、和多志は理解しています。

 どのように出会うのか?という視点は人と人との出会いにおいて、大事な部分に感じます。また、人の紹介で出会う場合には、誰の紹介かという点も非常に大事な氣がしています。ただ、これらのフィルターに左右されることなく、自分がワクワクするのか、そのような直感を大切にしていきたいです。あくまでも、自分の目の前に現れた人、というのは今の自分の心の状態を判断する上で大切な物差しのなるような氣がしています。そういう意味では、どんな方との出会いも自分の状態を教えてくれている、そう思えると感謝できるのではないでしょうか。

まとまりない内容で申し訳ございません。

彌榮ー

2025-03-04 11:39:00

「未来をになう少年達へのメッセージ」大村智さん

1. 家庭は、皆様がやがて大人になって社会に出て行くための準備の場所です。この中で自分の役割を何か持つことが必要です。庭を掃く、廊下を拭く、などと家の中での役割を持つことで、社会に出て世の中に果たす役割を自然と身に付けるようになります。

 

2. 神社やお寺の前に立ったら、手を合わせて自分を世の中の役に立たせて下さいと、祈ります。すると、祈ったように世の中に役立つ人間に近づくことができるようになります。

 

3. スポーツでも、家の手伝いでも、体を使い肉体的に大変なことを経験することで、困難に打ち勝つ強い精神力を持つことができます。

 

4. 学校で得意な科目は大いに勉強して下さい。そして、不得意な科目もしっかり頑張ると、社会に出た時に自身の得意なものをより多く社会に生かすことができます。

 

5. これからの社会は外国人とのお付き合いの機会が多くなります。そこで、外国語と共に、大事なのが日本の優れた文化を理解して身につけておくことです。

 

6. こうなりたいという希望や夢はいつも持ち続け、努力していると、それが実際に可能になってきます。

 

7. 努力することの心得「積み重ね、つみ重ねても、またつみかさね」(内藤多仲先生の言葉)

 

8. 「人生は習慣の織物である」悪い習慣は止め、良い習慣を身につけ、生活しましょう。

 

9. 何をやるにしても想像することから始まります。優れた想像力を身に付けて行動することで豊かな人生を送ることができます。

 

10. 読書によって優れた想像力が養われると共に自分の考えを他人に的確に伝えることができるようになります。

 

11. 大自然に親しんでいると、人生で重要なことを學ぶことができます。自然はいかなる教科書にも優ります。

 

12. 美しいもの(自然、美術品、音楽など)に接することで、優れた感性が養われ、心豊かな人生を送ることができます。

 

13. 色々な人と知り合い、お友達になり、偽りのないお付き合いを大事にしていると、幸せな人生を送ることができます。信頼のおける友人は人生の宝です。

 

14. キリスト・釈迦と並ぶ大聖人の1人、孔子の教え「人生でいつも心がけなければならない一番大事なことは"恕"(思いやり)です。」

 

15. 幸せな人生を送るための言葉

有難う。

おかげ様。

すみません。

おめでとう。

 

16. 人は1人では生きられません。両親はもとより、いろんな人々の導きや助けによって人生を歩んでいくことができるのです。それらの人々に感謝の氣持ちを忘れないようにすることが大事です。

 

17. 若い頃は色々なことをして失敗することが多くあります。しかし、それは反省して、繰り返さないことです。すると、失敗が人生の宝になります。失敗を恐れず、挑戦することが大事です。失敗を恐れるより、挑戦しないでチャンスを逃すことを恐れましょう。何事でも成功した人は誰よりも多くの失敗をしていると思います。

 

大村智

一般財団法人 韮崎大村財団

名誉理事長

 

 

おはようござます。本日は定休日です。今日はこちらを引用させて頂きました。皆様は共感や納得できる部分はありますか?

 

彌榮ー

2025-03-03 11:39:00

有意注意力 街中の美男美女に目が行きますか?

 おはようございます。今日は朝から冷え込んでいますね。数日は寒くなるようなので、気温の変化でお身体お氣をつけて下さい。昨日は中村天風研究会の実践編で、呼吸法と体操をして来ました。

 「チ ー地球の運動についてー」の最新話の放送が土曜日にありました。自分の生涯をかけて、信じていたこと(地動説が異端思想だということ)が、間違っていたことを一度は受け入れたかのように見えたノヴァクでしたが、矢張り、その事実を受け入れてはいなかったことが判明しました。氣がついた時から、人間はいつからでも変われる、変わるのに遅すぎるなんてことはないと思います。しかし、彼は、その間違いから自省・自責するのではなく、他責にしてしまい、殺すという選択を取りました。自分の死の直前に生涯について振り返るシーンがありました。そこで特に印象的だったのは、ノヴァクが異端思想の少年を処刑する際に「氣の毒だという痛み」の感情を感じていたと。しかし、その感情に蓋をして、これまで突き進んで来たと。この時にこの感情に真摯に向き合っていたら、もっと早くに氣がつくことが出来たかもしれない、という風に解釈もできる内容です。

 ちょうど、先日書かせて頂いた「思考を耕す」という内容と通じる部分でした。「自分の中にある感情や氣持ちを大切にする」為に、ノートを書くことで、その瞬間の氣持ちや感情をピン留めして、それと向き合うということを提案させて頂きました。今ここにしか生きることが出来ない和多志たちは、自分の感情や心の声を可視化することで、そこと向き合うきっかけをくれる氣がしています。

 外側や周りのものに対しての意識を向けさせて、自分の心と向き合うことから、遠ざけられているような氣がします。また、テレビを見ていないのに、付けっ放しで聞いていることに、違和感がなくて、内容があまり入って来ないという方は、注意が必要かもしれません。知らず知らずのうちに、有意注意力が散漫になっている可能性があります。この有意注意力とは、自分の特定した事物に注意を振り向けることです。男性の場合の例で大変恐縮ですが、街中を歩いていて美女に勝手に目がいっていまうような状況である場合、この有意注意力が使えていない状況のようです。自分はある時から、何を見るかに意識するようになってから、街中の美女に目がいかなくなりましたし、外見的に美しいと主観で思うことにも意味があるのかもしれませんが、そもそも、外見で人を見なくなりました。確かに、歳を取れば取るほどに、その人の生き方が表情や顔に現れるのはあると思います。ただ、どんな人の中にも、その人の良さや美しさが必ずあると思います。自分では氣づいていないだけだと思います。

 近年では、整形や表面的な美しさだけに目が行っている方々も増えている氣がしています。これは、物質的な客観的なものの見方の傾向が非常に強くなって来た結果でもあると思います。もちろん、彼らについて否定も肯定もしません。外見は努力次第でいくらでも変えられると思います。それらがきっかけで、自分自身の内側や心と向き合うきっかけとなるならば、本当に素敵なことだと思います。ただ、それは無限ループな氣がしていまいます。一向に満足することはない氣がします。しかし、美容整形を通じて、その事実に氣がつくことができるならば、高いお金を支払ってまで行う価値は十分にあると思います。個人的には、自然なままで皆んな素敵だと思います。心を浄化するのが、最高の美容法だと思います。

彌榮ー

 

2025-03-02 11:39:00

自分の直感を信じて、行動する

 おはようございます。昨日もお客様と長話させて頂いてエネルギーを頂きました。いつも色々な氣づきを有難うございます。本日はお休みを頂いて中村天風研究会の実践会に来ています。心身統一法である瞑想法や体操や安定打坐というやり方を學びます。

 昨日の記事で、2021年3月に人生で始めて行った「瞑想」について触れさせて頂きました。皆様は瞑想についてどのような印象がありますか?また、和多志が言う瞑想と皆様が想像する瞑想が一緒なのかは、わかりません。少なくとも、和多志はこの瞑想との出会いによって人生変わったと確信を持って言えます。

 そもそも和多志が、瞑想に興味を持ったきっかけは、経営者の方々が書いた本に、死ぬまでに経験した方が良いことの中に、瞑想を挙げていたことです。それから周りの方に瞑想やりたいと話し続けていました。そこで、静岡県富士宮市の畑でお世話になっている黒松さんと末次さんの2人が2人とも「ヴィパッサナー瞑想」行って来たら?とお勧めしてくれたのです。10日間の合宿で瞑想をするという説明を受け、中々10日間予定を空けて瞑想合宿に参加できるタイミングが見つからず、やりたいと思ってから実際に参加するまでに数年掛かったと記憶しています。

 振り返って思うことは、自分がこれをしたい、あれをしたいと思うことには、必ず何か意味があるのだ、ということです。その時に実行する前にいくら考えても、それはわからないことかもしれません。しかし、和多志は、やりたいと思ったことをやって来て思うのは、それはには必ず意味があった、その意味を見い出せた、ということです。

 皆様は、自分がこれしたいという思ったことは実行できていますか?もちろん、色々な環境や状況や理由によって、左右されています。色々な理由をつけて諦めることはできます。ただ、自分が出来ると思ったら必ずどんなことも出来ると思っています。そう思ってあげるから、出来るんだと思います。自分だけは、自分の見方でいてあげて下さい。

 もちろん、これやりたい、と思ったことが、本当に自分がやりたいことなのか、周りからドウ見られているかを意識して出てきたやりたいことなのか、その判別をつけるのは難しいと思います。

 和多志は、そのどちらであってもまず信じてやってみるのが、良いと思います。その体験や経験を通じて自分自身が學びたいことがきっとあるのだと思います。

 彌榮ー

 

2025-03-01 11:39:00

思考を耕すために

 おはようございます。昨日も素敵な出会いがありました。有難うございます。明日は、臨時休業となります。お氣をつけて下さい。

 皆様は普段、字を書くことがありますか?スマホが登場してから、書く機会が少なくなっていざ書こうとした時に、漢字が書けないなんてことないですか?

和多志は、字や文字を書くことが好きです。5年前くらいから、意識して手で書くということをして来ました。手帳も手書きです。ノートも手書きです。自分の人生の中で一番高い買い物だと思われるボールペンを買ったことがきっかけだったかもしれません。どうやら、人間にはお値段以上の価値をつけようと、買った後に有効活用する性質があるように思います。芯を交換して、一生使うと思います。

 「大きな世界の中にいるちっぽけな自分という存在」というように、自分をまるで物質的に捉えていると、他人や社会からどう見られているのか、という視点に目がいくと思います。もちろん、他の個々人を尊重せずして、生きていくことは出来ないので、大切な視点だと思います。しかし、この客観的な世界の圧力が強くなり過ぎてしまって、本来の自分を見つけられない人も多いのではないでしょうか?主観的な世界の見方や感覚を取り戻す為に、「ノートを書く」ことで、自分の思考を耕すという作業をすることは、非常にお勧めです。巷では、ノート術などの本がよく出ていますが、効率化の為のそれを書かれた本も多いと思いますが、本来の意味はここにあると思います。

 和多志も、この客観的な世界の圧力を受けて来たかもしれません。例えが違うかもしれませんが、ご容赦下さい。昔から割と良い子でした。また、高校になると大學受験の指定校推薦を得る為に、高校で成績一番を取ると決めて、実現出来ました。青山學院大學に無事入學することが出来たのです。当時の自分からしたら、憧れのまた憧れというように、入れるほどの學力はないと思っていました。しかし、そんな憧れも入ったとたんに、無力感を感じ、燃え尽き症候群のような状態でした。おそらく、どこかで両親の仲良くなる為、笑顔の為に頑張っていたんだと氣がつきました。世間的に凄いとされている大學に入ることで、両親が喜ぶと考えいたのです。(これも、周りにどう見られるか、という視点です。)また、摂食障害になったのも、根本的には周りからより良く見られたいという願望があったのです。

 周りからどうみられているか?という客観的な視点とは対照的に、目の前の世界には、和多志たちの心が映し出されています。それは、何かを見ると、自分の心には感情が芽生えます。つまり、 「ノートを書く」=「頭の中を可視化する」ことで、その一瞬一瞬の心の状態を可視化する(ピン留めする/付箋を入れる)ことができるのです。自分がそのように思ったことには、必ず意味があります。それは他人に理解されることかは、わかりませんが、自分の中では必ず答えがあります。我々は、今ここにしか生きることが出来ないので、そこで抱いた自分自身の心を可視化してメモしておくことは、非常に重要な意味を持つと思います。ノートにわざわざ書かなくても、それでも自分が覚えていたこと、記憶に残っている心(の声)がより重要という見方もありますが、どんな小さな声にも目を向けるという視点でメモすることは、大切だと思います。

 和多志がどう思ったか、どう感じたか、それに対して、蓋をしたり、流されたり、目を向けさせない世の中や教育や慣習が強いような氣がしています。それは、世界と人間の認識の仕方を、意図的に物質的で客観的な、周りからどう見られているのか、という点に意識を向けられている氣がしています。しかし、そうではなく、主観的な視点を取り戻す必要があると思います。個人の自由ですが、和多志は自分の人生を通じて、客観的視点から主観的視点に切り替えて、とても積極的でポジティブな生き方が出来ていると感じていて楽しいです。まず、その第一歩として、どんな心の声も、ノートに書いて、それがどういう経緯でそのように感じたのか、振り返ることで、自己対話が進む氣がします。

 また、そのノートを通じて、自分の心と向き合い、「自分なりの考えや仮説を出すこと、(一旦答えを出す)」ことは重要に思います。また、この答えを盲信や正解とするのではなく、仮説に対して、自分の人生を通じて検証し、より正確なものを見出していくのだと思います。自分の中での答えを一旦出すという考え方は、間違いをNGとするこの社会において、慣れるまで違和感があるかもしれません。人生は数学の数式のように、このようにやれば絶対にうまくいくという法則はないように思います。うまくいくとは、何か?それは、どんなに批判を浴びようとも、自分の心の声に従って、判断して行動することのように思います。そうしていると後悔することはないと思います。もちろん、人間なので、反省することはあると思います。それは次に生かすための糧となるので必要な経験だと思います。また、それと真剣に向き合うことで、自分に対する自信を取り戻すことができるかもしれません。

 和多志は2021年3月に人生で初めて「瞑想」しました。それまでの人生はある意味迷走していたかもしれません。ただ、無駄な経験は何一つとしてない、それらは必ず振り返った時に必ず、繋がると信じて歩みを止めずにひたすら行動して来ました。この瞑想との出会いは、自分の人生において非常に意味のあるものでした。

纏まり切らず申し訳ございません。いつもお読み頂き有難うございます。

彌榮ー

 

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